2009年1月4日日曜日

教育のコスト

昨年、東京で就職した娘が今日帰った。
京都での1年間、そして東京での4年間の大学生活にかかったコストはしめて1,500万円也。1年あたり300万円がかかった計算だ。私が親元を離れて札幌で学生生活をした時は、授業料が年間3万6千円。仕送りが2万5千円×12月で30万円、年3回の帰省のための交通費が3万円程度だから、しめて約40万円。大学入学時はオイルショック後だからそれほど物価が高くなったとは思えないので、何という違いだろうか。今や国立大学でも年間70万円ほどかかっている。これでは所得の低い家庭では子供を大学にやることは大変なことである。
 私は国立大学を卒業したが、卒業後は国民の税金をたくさん使ったから、何らかの形で恩返しできるのであれば、と常々考えてきた。そうした思いが甦ってきたのは、今日のニュース番組でフィンランドの大学生の一言があったから。北欧は以前から高負担・高福祉の国々として知られている。フィンランドの大学は授業料が無料で、生活費についても銀行ローン等が充実していて、親の支援がなくても国立大学であれば、実力さえあれば、誰でも通うことができる。今日の女子大学生も卒業後は、フィンランドの大学で学んだのだから、フィンランドの社会のためにできる仕事をしていきたいというものであった。この言葉を聞いて、しばらく意識してこなかった思いを思い出した。大学教育も受益者負担の原理から、必要な経費を受益を受ける個人の負担としているのが現在の日本の教育システムであるが、それが国のための人作りといった観点からすれば、社会のために尽くしたいという学生が非常に少なくなっているような気がする。いい会社や高い地位につくことのみを追求し、本来自分たちが暮らしている社会のためにという気持ちを持つ卒業生は果たしてどのくらいいることだろうか。そう考えるとフィンランドのこの女性学生の一言がとても自然で本来あるべき教育の姿ではないかと思う。

 

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