2008年12月27日土曜日

忘年会

私は通常札幌で勤務しているが、今年初めて函館の本社の忘年会に出席することにした。会社が大変な時だからできるだけみんなと一緒の時を過ごし、気持ちをひとつにすることが必要と感じたからだ。
忘年会の前に今年で第9回目となる恒例のボーリング大会に参加するが、何と2ゲームトータル342点でダントツの優勝を飾ってしまった。さらにまずいことに団体戦でも優勝、さらにさらにまずいことに連勝のかけでもとってしまった。さらにさらにさらにまずいことに初参加の社長が第2位。本当なら社員の慰労も兼ねて行っているのに、社長と専務が上位を独占してしまったのだから洒落にならない。私の手元には賞金の現金3万円あまりが手に入ったものの、若い連中に何かの足しにと寄付させてもらった。
それにしても何度も言うが、今年は本当に大変な年だった。来年も引き続き厳しい年になりそうだが、何とか凌いでいければと思っている。

2008年12月23日火曜日

年賀状

もう今年も残すところ8日となった。明日はクリスマス・イブ。
例年なら年賀状は30日か31日に投函するところだが、今年は図案が合ったいう間に決まったためか、今日投函することができた。多分20年以上ぶりの快挙。
ただ、今年の年賀状への一言が難しい。来年・・・というくだりがなかなか書きにくい。来年の今頃一体、仕事や家庭はどうなっているのか、検討も着かない。果たして来年中、会社は持つのか、どうなにかが不透明なためだ。我々の業界だけでなく、全ての経済活動が泥沼の中にある。経済不安や社会的不安、それに国際情勢も不安定でグローバルな世界の中では、どこかが狂うとそれが全世界に波及する。世界全部が地雷原のようなものである。
とは言え、今年を終え、新年を迎える訳だから、気持ちだけは新しい年が素敵な年であるように祈らずにはいられない。世界の全ての人が平和で豊かな生活を送れるような日が来るのを祈らずにはいられない。

2008年12月13日土曜日

門出

鬱病が原因で今夏、会社を辞めた元部下の就職が決まったようだ。それに本命のところからも書類選考が通ったとのこと。作文では本人が全く書けず、深夜まで手伝った。その甲斐もあったようだ。
彼女とは色々とあったが、鬱病の症状も少し緩和されたようで、新しい職場で何とかやっていって欲しいと思う。お祝いはささやかにカラオケを2時間程度。年はほぼダブルスコアなのだが、選曲はなぜか1960年代から70年代がレパートリーで年齢差を感じさせない。人生を生きて行くにはあまりに不器用で、周囲をハラハラさせる。感情の起伏が激しく、いわゆる躁鬱。彼女との関係は何とも不思議な感じで、生徒と先生、上司と部下、娘と父親の間の感情が交じり合っている。退職時にはあまりいい別れ方をしなかったので、もう会うことがないと思っていたので、就職活動でよほど困ったらしく、向こうから連絡をくれた。私は特に躊躇もなく、相談に乗ってあげた。それを聞いた彼女の友人からは、「どうして?」と疑問をぶつけられたが、一緒に苦労をともにした元同僚を助けるのは当然のことと思っていた。私はかなりのお人好しなのだろうか。
とにかく、来週から新しい会社で働くことになるようだが、頑張っていってほしいと願っている。

2008年12月6日土曜日

嬉しいこと

植物画の毎年カレンダー「北海道花暦」を発売してから、早4か月を過ぎた。本業の傍らに販路拡大という具合なので、北海道内でようやく50店においている程度。さすがに書店は数が多いので取り次ぎを通して約130店。11月には増刷もできて、これまで約4,000部が売れた。
もちろんたくさん売れることは嬉しいのだが、それより買った人の多くが喜んでくれているということ。カレンダーを貰った人から、また他の人に送りたいということで注文が来る。何か嬉しさの輪がカレンダーというモノを媒介にして広がっていく感じ。オーバーかもしれないが、買った人が和み、さらにそれを貰って人が安らぐ、そうした輪が世界中に広がって、少しでも皆さんの心が豊かに、そして安らかになっていく。
販売の利益は、価格を手ごろに設定したこともあって、本業に比べるとほんの少しだが、たくさんの嬉しいを届けられたことが、その何十倍も何百倍も嬉しいこと。本当に作って良かったと思う。仕事の喜びというのはきっとこういうことなのだ、と50歳を超えたようやく実感できた。少々遅すぎたかもしれない。

2008年12月2日火曜日

困難な時代

今年は何かと大変な年である。もちろん9月以降の世界金融危機や景気低迷もあるが、私が生業とする建設コンサルタント業界は、生か死の際をさまよっている感じである。
日本の国の厳しい財政状況の中で、行政経費の削減や効率的な執行が求められている。しかしそれは公共からの受注産業を主としている我が社にとっては、死活問題である。また国からの仕事が大半を占めているので、現在議論されている地方分権も逆風となる。私も昔から米国やドイツの例を見ていて、地方が元気になるためには、自分の頭で考え、行動する地方分権の重要性を認識しているだけに、気持ちは複雑だ。成り行きによっては生活の糧を奪われることにもなるからだ。今年は何とか乗り切れても来年の今頃はどうなっているのか。不安が頭をよぎる。自分の信念と生活の確保をどう両立させていくのか、新しい生き方を見つけていくことが今求められている。