2008年12月27日土曜日

忘年会

私は通常札幌で勤務しているが、今年初めて函館の本社の忘年会に出席することにした。会社が大変な時だからできるだけみんなと一緒の時を過ごし、気持ちをひとつにすることが必要と感じたからだ。
忘年会の前に今年で第9回目となる恒例のボーリング大会に参加するが、何と2ゲームトータル342点でダントツの優勝を飾ってしまった。さらにまずいことに団体戦でも優勝、さらにさらにまずいことに連勝のかけでもとってしまった。さらにさらにさらにまずいことに初参加の社長が第2位。本当なら社員の慰労も兼ねて行っているのに、社長と専務が上位を独占してしまったのだから洒落にならない。私の手元には賞金の現金3万円あまりが手に入ったものの、若い連中に何かの足しにと寄付させてもらった。
それにしても何度も言うが、今年は本当に大変な年だった。来年も引き続き厳しい年になりそうだが、何とか凌いでいければと思っている。

2008年12月23日火曜日

年賀状

もう今年も残すところ8日となった。明日はクリスマス・イブ。
例年なら年賀状は30日か31日に投函するところだが、今年は図案が合ったいう間に決まったためか、今日投函することができた。多分20年以上ぶりの快挙。
ただ、今年の年賀状への一言が難しい。来年・・・というくだりがなかなか書きにくい。来年の今頃一体、仕事や家庭はどうなっているのか、検討も着かない。果たして来年中、会社は持つのか、どうなにかが不透明なためだ。我々の業界だけでなく、全ての経済活動が泥沼の中にある。経済不安や社会的不安、それに国際情勢も不安定でグローバルな世界の中では、どこかが狂うとそれが全世界に波及する。世界全部が地雷原のようなものである。
とは言え、今年を終え、新年を迎える訳だから、気持ちだけは新しい年が素敵な年であるように祈らずにはいられない。世界の全ての人が平和で豊かな生活を送れるような日が来るのを祈らずにはいられない。

2008年12月13日土曜日

門出

鬱病が原因で今夏、会社を辞めた元部下の就職が決まったようだ。それに本命のところからも書類選考が通ったとのこと。作文では本人が全く書けず、深夜まで手伝った。その甲斐もあったようだ。
彼女とは色々とあったが、鬱病の症状も少し緩和されたようで、新しい職場で何とかやっていって欲しいと思う。お祝いはささやかにカラオケを2時間程度。年はほぼダブルスコアなのだが、選曲はなぜか1960年代から70年代がレパートリーで年齢差を感じさせない。人生を生きて行くにはあまりに不器用で、周囲をハラハラさせる。感情の起伏が激しく、いわゆる躁鬱。彼女との関係は何とも不思議な感じで、生徒と先生、上司と部下、娘と父親の間の感情が交じり合っている。退職時にはあまりいい別れ方をしなかったので、もう会うことがないと思っていたので、就職活動でよほど困ったらしく、向こうから連絡をくれた。私は特に躊躇もなく、相談に乗ってあげた。それを聞いた彼女の友人からは、「どうして?」と疑問をぶつけられたが、一緒に苦労をともにした元同僚を助けるのは当然のことと思っていた。私はかなりのお人好しなのだろうか。
とにかく、来週から新しい会社で働くことになるようだが、頑張っていってほしいと願っている。

2008年12月6日土曜日

嬉しいこと

植物画の毎年カレンダー「北海道花暦」を発売してから、早4か月を過ぎた。本業の傍らに販路拡大という具合なので、北海道内でようやく50店においている程度。さすがに書店は数が多いので取り次ぎを通して約130店。11月には増刷もできて、これまで約4,000部が売れた。
もちろんたくさん売れることは嬉しいのだが、それより買った人の多くが喜んでくれているということ。カレンダーを貰った人から、また他の人に送りたいということで注文が来る。何か嬉しさの輪がカレンダーというモノを媒介にして広がっていく感じ。オーバーかもしれないが、買った人が和み、さらにそれを貰って人が安らぐ、そうした輪が世界中に広がって、少しでも皆さんの心が豊かに、そして安らかになっていく。
販売の利益は、価格を手ごろに設定したこともあって、本業に比べるとほんの少しだが、たくさんの嬉しいを届けられたことが、その何十倍も何百倍も嬉しいこと。本当に作って良かったと思う。仕事の喜びというのはきっとこういうことなのだ、と50歳を超えたようやく実感できた。少々遅すぎたかもしれない。

2008年12月2日火曜日

困難な時代

今年は何かと大変な年である。もちろん9月以降の世界金融危機や景気低迷もあるが、私が生業とする建設コンサルタント業界は、生か死の際をさまよっている感じである。
日本の国の厳しい財政状況の中で、行政経費の削減や効率的な執行が求められている。しかしそれは公共からの受注産業を主としている我が社にとっては、死活問題である。また国からの仕事が大半を占めているので、現在議論されている地方分権も逆風となる。私も昔から米国やドイツの例を見ていて、地方が元気になるためには、自分の頭で考え、行動する地方分権の重要性を認識しているだけに、気持ちは複雑だ。成り行きによっては生活の糧を奪われることにもなるからだ。今年は何とか乗り切れても来年の今頃はどうなっているのか。不安が頭をよぎる。自分の信念と生活の確保をどう両立させていくのか、新しい生き方を見つけていくことが今求められている。

2008年11月27日木曜日

作文支援

以前、会社に勤めていたO嬢が町役場の社会教育主事を受験するというので、応募に必要な作文の手伝いをする。一昨日骨子を作って渡したが、ストレスが原因か、全く手が動かなかったとのこと。仕方ないので昨日手を取り足を取りながら作文を手伝った。私がワーッと書いてもいいのだが、それでは彼女の自信に繋がらない。手伝いながらも彼女が自分で書いたという実感を持って貰えるように工夫をしたつもりだがうまくいっただろうか。
深夜12時を回った頃に、ようやくそこそこの案が完成。来たときは死にそうな顔をしていたのが、まるでそれが嘘だったように元気になっていた。ストレスがひとつ解消したようだ。とてもストレスに弱い性格あるいは病気なので、これからも色々な困難や苦労が待ち受けていると思うが、何とか乗り越えてほしいものだ。

2008年11月20日木曜日

冬景色

昨夜から今朝にかけてまとまった雪が降った。
気温も下がり寒さが身にしみるが、街全体が白色に染まるのはやはりきれいなものである。特に紅葉の黄や赤と白のコントラストは、この季節ならではの造形である。
昨今、世界や日本の経済・政治情勢が急激に変化しているが、季節はそんな人間界のどさくさに一切関係なく、淡々と進んでいるよう。こうして雪が降り、来月には根雪、そして4月頃には雪も解けだして、6月にはまた一斉に木々の緑や花々が咲き乱れる。まるで人間のせっぱ詰まった生き方をあざ笑うかのように、淡々と繰り返す。

2008年11月19日水曜日

晩秋

いままで黄色に染まっていた銀杏並木も、その葉を落として秋の深まりを感じる。窓から見える植物園もほとんどの葉が落ち、反対側まで見えるようになった。今日は朝から冷え込み、雪が降るかもしれないという予報で、少しずつ冬の季節が優勢になってきている。
昨今の世界的経済危機で、学生の就職戦線は一転厳しい状況のようだ。昨年まで売り手市場だった東京でも一気に厳しさを増しているという。娘が昨年就職したが、1年遅れていたら彼女も厳しい選択を迫られていたかもしれない。でも若い人が職につけないというのは、本人にとっても、社会にとっても残念でもったいないことである。
私はもう50代半ば。そろそろ次の世代へのバトンタッチの準備をしてもいい年齢。同年代の役人の知人等は早期退職、その後、いわゆる第2の人生をスタートしつつある。私ももうそういう年代なのだとつくづく感じる。そうした自分の仕事上の役割や社会での役割が変化しつつある中、自分の頭の切り替えも必要なのであろうが、それが最近の中だるみ感につながっているようである。

2008年11月4日火曜日

初雪


札幌の初雪は平年並み。通りの銀杏並木の葉も時折吹く風に1枚1枚と宙に舞っている。これから暖かい日と寒い日が交互に訪れ、次第に寒い日の時間が長くなってくる。12月には根雪が降り、いよいよ冬将軍の到来。いつも思うことだが、この時期はどうも気が重くなり好きにはなれない。
でも机の上にあるアーミッシュカンレンダーは、紅葉の中のカバーブリッジ。冬はもう少し先か?

2008年11月3日月曜日

結婚31周年

10月30日が31回目の結婚記念日。いつも思うことだが、よく飽きもせず続いていると思う。毎年花を送っているが、いつもバラ。今年は深紅のバラにした。何年か前、忙しさに紛れて、忘れたことがあって、泣かれたことがあって、それ以降気をつけている。でも本当のところ、その日の朝まで忘れていて、奥さんから『31年間ありがとう』と言われて気がついた。危ない危ない。冷や汗ものだった。

第19回北海道植物画協会展

 11月3日(月)から8日(土)まで第19回北海道植物画協会展が開催される。今年は植物画カレンダーのこともあって、ゲストとして夜のパーティに招待された。展示されている植物画は今年新たに描き起こしたものが中心だが、カレンダーに掲載されている画も何点かあり、「あの絵だ!」と一人悦に入っている。
 会員の皆さんの顔を見るのは3月の総会以来のことである。カレンダーづくりの際に名前だけは覚えているのだが、顔と名前が一致しなかったが、今日のパーティでかなり判明した。
 全体的にシニア層といっても、60歳代以上が大半を占めているので、50歳代半ばの私の下には数人しかいないようである。いつも思うことだが、年の割には皆さん元気がいい。やはり何かに打ち込んでいる、あるいは生き甲斐のある高齢者は元気のいいもののようだ。果たして私の場合、同年代になった時にこれほど元気のよい年寄りでいられるのだろうか。仕事以外特にこれといった趣味や熱中できることもあるわけではないので、退屈な毎日をもてあましてしまうのではないだろうか。多分私のようなシニア層がこの世の中には多いのではないだろうか。
 カレンダーの方はなかなか評判がいいらしく、画を提供してもらった会員のみなさんも大変喜んでくれているようで、作って良かったとつくづく思う。

第19回北海道植物画協会展
とき 平成20年11月3日~8日
ところ 時計台ギャラリー3F(札幌市中央区北1条西3丁目)

2008年10月30日木曜日

カレンダー第2弾始動

植物画に続いて、第2弾はいよいよ北海道のくらしの風景あるいは風物。
アーミッシュ・カントリーのような写真で行くのか、あるいはスケッチ画を中心とした風景画で行くのか。知人から日本画の先生を紹介され、札幌郊外のH高校の美術の先生のところに出向いた。芸術家というのはどちらかというと苦手な人種である。思いこみが強く、頑固というイメージがある。
お会いした先生は、一見やはり芸術家タイプ。長髪と髭が印象的であるが、やはり高校の美術の先生らしく白衣を身にまとっていた。1時間ほど話したが、思ったより気さくな人柄のようである。絵画を使ったカレンダーづくりにも興味を示してもらい、とりあえず前向きに検討してくれるようだ。政治家ではないので、文字通り”前向き”に検討してくれるものと期待している。1月に展覧会があるので、100名ほどいる会員さんに打診してくれるとのこと。しかし、どうも来年の夏のものにはなりそうもない。まあ気長に進めようと思う。
 また写真の方も捨てがたい。問題はどうやって写真を集めるのか。できればプロというよりは、上級アマをターゲットに公募してみたい。そうした人たちはなかなか公衆の目にさらされることもなく、発表の機会を概して待っているものだから。

2008年10月9日木曜日

何故、おみやげにこだわるのか

素敵だった旅行の思い出。残るものと言えば、思い出と写真、そして旅行のお土産。思い出は時とともに薄れていくから、最後は写真とお土産くらいしか残らない。北海道の食べ物は超一流だが、食べてしまえば後に残らない。まりもっこりがバカ売れのようだ。お土産の1番だそうだ。お土産屋にはまりもっこりコーナーがあ幅をきかせている。個人的には洒落で渡すのはいいかもしれないが、それを誇りを持って知人にあげることはできないと思う。良い思い出をいつまでも持っていてもらうことができれば、また北海道を訪れる気にもなるだろう。そして北海道を大切に思ってくれるリピーターとなってくれるものと考えている。それがお土産にこだわる理由である。

2008年10月6日月曜日

祝・ソルドアウト

わが毎年カレンダーがほぼ完売。先週は道立近代美術館のミュージアムショップにもおいてもらえることに。とても嬉しい、少なくともクオリティの高さは認められた訳だ。よいものが必ず売れるとは限らないが、今回は予想通りの売れ行きだった。ただ、購入者がシニアのご婦人が主力で、若い女性にはあまり魅力のあるものではなかったようだ。
増刷を手配中だが、今回は表紙のデザインを多少、若い人向けに改良したが、これくらいで売れるとは思っていない。ただ、手にとってもらえるだけでも嬉しい。そのうち何人かが買ってもらえるとなお嬉しい。

2008年9月17日水曜日

売れ行き好調

カレンダーの売れ行きが好調だ。4,000部制作して、在庫が300部あまり。増刷するかどうか迷うところだ。
特に書店での売れ行きが鍵となる。これから12月にかけてカレンダーシーズンなので、その需要とマッチすれば大量に売れる可能性がある。その時に在庫がなければ販売の機会を逸することにもなる。第1刷が完売し、増刷を検討するのを当初10月と考えていたから、ほぼ予定通りで、恐ろしいほど思い通りに進んでいる。ただ、こういう時は、必ず落とし穴があるわけで、それが非常に気になっている。

2008年9月15日月曜日

帰郷

今年の正月以来の娘の帰郷。
空港で出迎えた娘は黒のスーツにピギーバッグの出で立ち。ちょっと見るともう立派な社会人。
でも一言発するといつもの娘のまま。少し安心する。
3泊4日の自宅滞在を終え、職場のある東京にまた旅立つ。
年のせいかいつもいなく寂しさを感じるが、贅沢な感傷とも言える。立派に社会人として自分の人生を生きているのだから、親としては誇りに思うべきであろう。まだ完全に巣立ったわけではないが、子供であった娘のことを考えると少し寂しさを感じてしまう。

2008年9月3日水曜日

元気なシニア

植物画カレンダープレゼントの記事が新聞に掲載された直後から、申込みのハガキが殺到。掲載3日目ですでに500通あまり。思いの外、反響が大きいのにも驚いたが、さらに驚いたのが、申込者の大半が50歳代以上の女性であること。そして80歳以上の申込みも。きっと毎日、新聞を読んでいて、プレゼントコーナーをチェックしているのか。しっかりした文字で書かれていて、とても80歳代以上とは思えない。
昨今の社会経済情勢はあまりよい話題はないが、高齢者は思いの他元気なのだ。そう感じる。こうした高齢者の元気を私たちやもっと若い世代にも伝搬させたいものだと思う。
今回のプレゼントで、このカレンダーの購買層がかなり明確になった。50歳代以上の女性ということだ。

2008年8月30日土曜日

O先生の一周忌

8月24日に私の以前大学の同僚であり、また現在勤めている会社の同僚でもあるO先生の一周忌があった。何ともおかしな関係である。去年の3月にトルコで事故に遭い、8月24日に逝去した。
考えてみればこの1年間は色々あった。O先生の逝去に続き、O嬢に躓いてこの世を去ったT先生。以前付き合っていた女性に「彼女と付き合っていると破滅する」と言われたことがあるが、それは本当だったようだ。ただし私ではなかったが。当のO嬢も心の病が治らず6月にとうとう退職。冬には国会審議に私が手伝っている公益法人が他の49団体とともにノミネートされ、痛くない腹を探られ、余計で大変な思いをさせられた。
過ぎてしまえば、1年はあっという間だ。暑い夏も終わり、涼しい風が吹くようになると、少々気が早いようであるが、冬の気配を感じる。

2008年8月20日水曜日

植物画レイアウト

植物画というものをある程度知っていないと、レイアウトデザインはできないというのが、今回の感想。結局協会会長のご主人(顧問)にお手伝いいただいて、何とかなった。なかなか辛口の人だったが、指摘は適切で、いちいち尤もだと思った。
特に表紙のデザインは、12月の花々を周りにちりばめたもので、形や色がうまくバランスし、とても華やかなものに仕上がった。とてもまねのできるものではない。
という訳で、レイアウトや編集、さらには穴あけの手作業にも大幅に時間がかかってしまい、結局印刷会社から納品が始まったのが、7月末。約1か月以上遅れた計算になる。しかし、スタートなので、少なくとも品質は確保したいということだったので、出来映えには満足している。

2008年8月19日火曜日

穴あけ!?がまた難関

カレンダーには、リングを通す穴があけられる。直径6mmの穴を6mmピッチで19個あけなければならない。その穴あけが次なる難関となった。
ただの穴あけだから、専用の穴あけ機で機械的にどんどん空けられるものと勘ぐっていた。しかし、聞いて驚いた。何と穴は1個1個、しかも厚さがあるので、表裏から空けるという。だから延べ38回の穴空け作業が必要なのである。それを聞いた時は、自分の耳が信じられず、思わず気絶しそうになった。どうやら少なくとも北海道には、そんな便利な機械はないらしい。リングのように、関東近郊にはそうした専門の製本会社もあるのだろうが、何と北海道の文化作業の底の厚さか。この予想外の作業のために、多大のコストと時間を労することとなった。

2008年8月18日月曜日

スパイラルリング!?

カレンダーを留めるリングは、最近では機械製本に適した「ダブルリング」というリングがほとんどとのこと。しかし、このリングではあまりにも品がない。どうしても昔ながらのスパイラルリングにしようということで、印刷会社に問い合わせたところ、何と、「ない」という素っ気ない返事。思わず自分の耳を疑う。アメリカのカレンダーはスパイラルリングで綴じられているのに、世界の経済大国日本にどうしてないの?そんなはずはないということで、インターネットで調べたら、やはりあった。ただ、北海道では扱っていないだけのことだった。結局埼玉県のリング製造会社に依頼することになったが、こちらで欲しい色や形のリングは特注品とのことで、最低のロットが何何と2万個。とりあえず欲しいのは4千個なのに、1万6千個も余ってしまう。既製品なら何個でもOKなのだが、非常に迷うところである。もちろん1個あたりのコストも2倍くらい違う。予算オーバーだ。
しかし、どうせ作るなら後悔したくないので、思い切って特注リング2万個を発注した。吉と出るか凶と出るか?
それにしても、たかがリングくらい北海道で作っていないのかと思う。後で分かったことであるが、例えばデパートの紙袋さえも、大半が本州からの移入だし、有名な話であるが、手袋の主生産地が四国の香川県であるのも雪国北海道としては何とも情けない話である。
カレンダーの製造をきっかけに、北海道の産業基盤の薄さを実感したのだが、それはリングだけではなかった。

2008年8月17日日曜日

植物画集め

T先生のアドバイスに従い、植物画を366枚集めたカレンダー作成に取りかかる。
まずは1年分の掲載植物のリストづくり。これはT先生に依頼したが、あっという間にできあがってきた。今度はそのリストと植物画協会の会員のみなさんが持っている植物画と照らし合わせて、最終的な掲載リストを作成することにした。
リストづくりでは、協会の幹事さん4人が当社に集合し、作業にかかった。お昼の12時スタートし、ある程度終了したのは、翌日の午前2時。なんと14時間ぶっ通しの作業。恐るべし女性パワー!
次はできあがったリストに従って、それぞれの絵を持っている人たちから、原画を集める作業だが、これも幹事さん4人でやってくれた。それから3~4日後頃から、原画が集まり始めた。みるみるうちに、会議スペースは原画で埋まり、300枚あまりの原画でいっぱいになった。
今度は、その原画を写真撮影し、印刷用のデータを作る作業。印刷会社に写真撮影のコストを聞いたが、5,000円/枚!?それだと写真撮影だけでも150万円もかかってしまう!計画断念か?そこでたまたま道外に住んでいる知り合いの写真家が近くにいることが分かり、無理を承知で1,000円/枚で拝み倒す。その代わり、原画をアトリエまで届けるという条件だが。
そういうわけで、写真撮影終了したのが4月25日だった。

2008年8月15日金曜日

テーマは「花」でいこう!

北海道版カレンダーの第1号は、北海道の四季折々の風景や生活を写真で紹介するようなものにしよう。写真もプロではなく、地域に住む人たちが毎日の生活風景を撮りだめたものを使おう。と思ったが、肝心の地域の人たちがなかなか動かないまま、1年あまりが過ぎてしまった。こうなったら、1/1の成功モデルを作って、やる気を引き出そうということにした。
色々とテーマを考えた、北海道の自然、温泉など、考えられるテーマは多彩である。そんな中から、最近注目を集めている「花」をテーマにすることにした。それが今年の2月。
花と言えば、元北大教授のT先生。花のガイドブックも何冊か出している。掲載されている写真を使えば、比較的簡単にできる。と思いT先生に相談にいく。T先生も興味を示してくれたが、「どうせ作るなら、写真ではなく、絵の方がいい。もともと図鑑は絵なのだから」ということ。ただ、366点の植物の絵を描くのは大変な作業で、何年かかるか分からないと言うと。植物画の協会があるから、そこに相談してみたらということになった。
こうして2月の末、網走に住んでいる協会の会長を訪問することになる。ただ、この日は3日徹夜明けだったため、帰りの飛行機では、離陸も着陸も分からず、あげくの果てにスッチーの起こされる始末。後ろを見ると私が最後の乗客。なんとも照れくさい思いをした。

2008年8月11日月曜日

住んでよし、訪れてよしの国づくり




アーミッシュ・カレンダーの特徴のもうひとつは、366年の大半が日常の生活風景を題材としている点にある。そこには馬車が走り、農耕作業は馬が活躍し、人々の素朴な生活ぶりが描かれている。北海道の場合、北海道の優れた観光資源である自然景観が主として撮影対象となっているが、アーミッシュの場合は、美しい農村景観を背景に、そこで暮らす人々の普段の生活が描かれている。毎日見ていても、色々な表情の人々が登場し、飽きない。年月を重ねて使えば使うほど、カレンダーの良さが分かってくる、そしてもう一度行ってみたいという気になるのである。
こんな思い出そのものになるようなカレンダーを北海道でも作ってみたい。そう思うようになった。

2008年8月9日土曜日

はじまりは・・・アーミッシュ・カントリー


カレンダーづくりは2005年に米国オハイオ州のアーミッシュ・カントリーを訪れたことから始まった。アーミッシュは、ドイツ系の移民で、厳格なカソリック教徒で、現代文明には頼らず自給自足の生活を送っているのが特徴となっている。
そのためそれ自体が特徴的な文化的資源で、自ずと観光資源ともなっていて、多くの観光客が訪れるようになってきている。ただ、一般観光客が土足で彼らの生活の中に踏み込むことがないよう色々な工夫がされている。そのひとつがビジターセンターでのオリエンテーション。それによりアーミッシュの歴史や文化、生活スタイルなどを理解することができる。
私も一般の旅行者と同様、そのビジターセンターにお邪魔した。そこで見つけたのが写真の万年日めくりカレンダー。結局、それを10冊も買い込んで、帰国後、兄弟・親戚にお土産として配ったのである。
あれから3年あまり、我が家のカレンダーはしっかりしていて、後10年くらいは使えそうだ。このカレンダー毎年使えるというのもいいのだが、不思議と毎日1枚ずつめくるのが習慣になってくる。その旅にアーミッシュを思い出すのである。つまり毎日欠かさずアーミッシュを思い出すのである。そうしていると、また違う季節に行ってみたいと思うようになる。これはもうお土産の域を超えたリピート増加のための有効なツールである。これこそ観光立県をめざす北海道に必要なものではないか、そう感じたのである。

2008年8月8日金曜日

毎年日めくりカレンダー


6か月をかけて、ようやく毎年使える植物画の日めくりカレンダー(写真)が完成しました。あまりの完成度の高さに自分で酔っています。多分この種のものでは革命的とも言えるものだと自分では思いこんでいる始末です。
たかがカレンダーですが、このカレンダー1つ作る過程でも、実に色々な困難と直面し、その1つ1つを解決していく中で、多くのことが判明し、何にも代え難い勉強ができたと思っています。
これからしばらくはこのカレンダー制作にまつわる出来事を綴っていこうと思います。
まず始めにこのカレンダーのことをお話します。
カレンダーの名称は「植物画による毎年カレンダー~北海道花暦」といいます。曜日が入っていないので、何年でも使えるのが第一の特徴です。そしてこのカレンダーのクオリティを格段に高めているのが、「植物画~ボタニカル・アート」と言われる、366点の精密な植物画が描かれている点です。これだけの点数が集まっているのは多分日本でも初めてかと思います。
とりあえず今日はこの辺で。

2008年7月21日月曜日

体調不良

ウイルス性胃腸炎で、下痢が止まらず、3日間寝込んでしまった。仕事の方も2日間休んだが、休日以外に休みを取るのは何年ぶりだろうか。本当に仕事人間だと思う。別に仕事が好きな訳ではないが、多分休んでも、特に熱中してすることもないので、仕方なしに仕事をしているというのが実態かと思う。子供の方も今年、下の娘が大学を卒業して、多少の安堵感もあるのか、最近は仕事に対してもあまり集中できない状況が続いている。全体的に何となく生きているというのが、今の自分で、あまり好きな自分ではない。
改めて考えれば、これまでも常に何か足りないという、物足りなさを感じてきた人生だったような気もする。最近は仕事を取り巻く環境も急に厳しさを増していて、悠長に構えてはいられない状況でもないはずなのだが、気力がついていかない。

2008年6月29日日曜日

3丁目の夕日

続・3丁目の夕日DVDを見るが、前作同様、ほっとする。
昭和34年は、私がちょうど小学校1年の時であるので、もちろんノスタルジーによるところが大きいが、それよりも家族やコミュニティの人と人との触れあいが胸を熱くする。
昨今の効率性の追求や成果主義に追われている社会や毎日の暮らしの中で、そうした暖かな触れあいを自分自身が求めているのだろう。またこの映画の人気はまさに私と同じ感覚を持っている人が多いという現実の反映なのだろう。貧乏でも心豊かな暮らし。しかし最近ではワーキングプアといった貧乏で心も貧しい生活を強いられるという最悪の状況である。

2008年6月24日火曜日

優しさとは?

優しいばかりではだめなようです。
しかし人に優しくするためには、その分自分に負荷がかかるから、自分に厳しくする必要があります。
そうした優しさを与えた本人から、「甘すぎる」と言われたのはショックです。他の人間からそう言われるのならまだしも。どうも割り切れないよ。

2008年6月11日水曜日

旅立ち

当社でここ2年間、うつ病で休職していた女性職員がこの5月末で退職することになった。彼女の病状のことや今後のことを考えると、多少でも良くなったら復職をと考えていたのが、本人にとって会社勤めが大きなストレスになっていて、引き留めないで欲しいと懇願され、やむなく退職を受理。
人への思いやりと、それを受ける本人との意識には大きな差があるようで、受ける人間にとっては、そうした思いやりそのものが苦痛であったりする。
最近、心の病を持った人がたくさん見られるが、先日の秋葉原の無差別殺人もとても哀しい事件。突然未来を奪われた犠牲者も悲しいし、昨日記者会見した犯人のご両親の気持ちは想像を絶するものがあると思う。
特に最近は資源の枯渇や温暖化問題といった社会経済情勢、様々な悲しい事件が毎日のように起こって、本当に明るい未来を描きにくくなっていて、こうした状況を悲観して、さらに心の病をもった人が増えていくのではないかと心配している。

2008年6月9日月曜日

50回忌!

6月7日の土曜日。父親の母親だから、私の祖母の何と50回忌の法事が故郷であった。
私の叔父や叔母が勢揃い。私は高校時代に親元を離れ、高校3年間に親戚の家3箇所を転々とし、みんなに大変お世話になったので、この日もそのころのことを思い出す。
最初は、ホームシックにかかり、現在大分に済んでいる叔父の家に帰る足取りはいつも重かった。そうしている内に12月にその叔父が大分に転勤になったため、登別の叔父のところに転がり込む。そこに1年ほど居候した後、2年の夏頃から室蘭に住んでいる伯母のところに高校卒業まで居候していた。
そんな高校時代を思い出した法事であった。
ほぼ半年ぶりの投稿。
例年年明けから4月半ば頃までは、納期の関係で多忙な日が続くのです、今年は異常な年で、今日まで引きずってしまいました。この半年、本当に色々な体験をさせてもらいましたが、あまりためになる体験とは言い難いのが残念。
私のいる業界はこのところ良い離しがひとつもない。先行きも不透明だが、少なくとも良い方向には向かいそうもない。そのためリスク分散を図るべく、新たなプロジェクトをスタートした。
明日からは、毎年カレンダーという、新しいプロジェクトが始まる。わくわくする面もあるが、多少不安もつきまとう。仕事の面でもしばらくは「寄り道」が続きそうだ。